はじめに

私が蒸気機関車の写真を撮り始めたのは昭和46年でした。
両親に依れば、小さな頃から一人で駅に遊びに行っていたらしく、
見当たらなくなると駅に行けば私が居たそうです。
駅までは家から数百メートル程ですから、近かったせいも有るでしょう。
また、中学校の行き帰りは駅構内端の踏切を渡らねばならず、
そのたびにSLの牽く列車を眺めていました。
そんなある日、同級生から衝撃的な事実を告げられたのが写真撮影のきっかけになりました。

彼曰く「もうすぐSLはなくなるんだってね。」 
えっ?SLが無くなる??どうして???。
焦りにも似た気持ち。そこへ別の友人が一言。
「となりのクラスのXXはSLの写真を写してるんだそうだよ。」
即、私は隣の教室へ行きXXに話を聞き、初めてSLが全廃されることや、
写真撮影と言う手段を知ることになりました。
彼の話は私にとって青天の霹靂とでも言う位の衝撃でした。
今更ながら何も知らずに、のほほんとしていた自分を呪いつつも、
父親にカメラの使い方を教わり、我が家に1台ある古くさい父のカメラを借りての撮影が
始まることになりました。

ゼノビアと言うこのカメラはブローニー版フィルムを使い、
前蓋を開けると蛇腹が飛び出し、その先にレンズがついていると言う年代物で
使いにくい事この上なしでした。
ピント合わせもレンズではなく、先ずピント合わせ用のファインダーレバーでピントを合わせその目盛りを読みとり それからレンズの焦点を同じ数値に合わせると言う具合です。
シャッターも一回切る事にレバーを上へ上げてセットしなければならず、
フィルムの巻き上げもカメラ上部のノブをクルクル回しながら
カメラの裏蓋にある赤い小窓からフィルムに印字されたナンバーを読みとりながら
真ん中に合わせなければならないものです。

当然、連写など夢のまた夢。いきおい一発勝負となります。
さらには当然ですが撮影技術は勿論、写真の仕組みそのものも理解してませんでした。
出来上がった写真は...言うに及ばずです。
ピントは外れてばかり、手ぶれも多数、さらにはフィルムの巻忘れによる多重撮影と
酷い状態。
写真屋さんに出して返されるたびに、露出が足りないとかシャッター速度がとか
注意され続けていたのですが その意味さえさっぱり分からずに、
露光はフィルムの外箱に書かれていたシャッタースピードと絞りを
お天気で組み合わせた図に従い続けました。

このHPで、ご紹介する写真は、このような理由から、ピントが甘かったり或いはブレていたりと 写真としては散々ですが、私にとっては懐かしく且つ大切な宝物です。
ご覧頂く皆さんは写真としてどうのこうのと言うことは置いておいて頂き、
懐かしい古き良き時代の記録してご覧頂ければ幸いです。

                           (2001.01起稿 2021.10改訂)



          
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