久大本線 きゅうだいほんせん
運転区間:鳥栖−大分  路区間:久留米−大分 141.5km

沿革(略史)
大正04年(1915年) 10月30日 大湯鉄道として大分−小野屋間がナローゲージ(762mm)で開通
大正11年(1922年) 12月01日 国有化されて大湯線となる
大正12(1923年) 09月29日 湯平まで延長、軌道も762mmから1067mmに改軌
昭和03(1928) 12月24日 久留米−筑後吉井間が久大線として開通
昭和08(1933) 09月29日 大湯線 天ヶ瀬まで開通
昭和09(1929) 03月03日 久大線、日田までが開業
昭和09(1929) 11月15日 日田−天ヶ瀬間が完成し大分−久留米間が全通し久大線と命名される
昭和12(1932) 06月27日 現在名の久大本線となる
昭和46年(1971年) 09月30日 無煙化

蒸気機関車運用略史(近代のみ)
担当機関区:大分運転所 豊後森機関区 鳥栖機関区
動き 運用機
昭和 9年(1929) 全線開業、豊後森機関区設置 配備 8620 9600 8620 9600
昭和12年(1932) 9600転出 全機 8620になる 8620
昭和17年(1937) C58投入 8620 C58
昭和38年(1963) D60投入. C58豊肥本線用として転出 8620 D60
昭和45年(1970) 8620 運用廃止(予備機として1両豊後森配備) D60
昭和46年(1971) 無煙化

ひとくちメモ
久留米−筑後大石間の平野部と筑後大石−大分間の山間、高原部に大別される沿線風景を持ちます。
山間部は渓谷を縫って走り、たくさんの鉄橋、トンネルと美しい渓谷との組み合わせが素晴らしです。
冬季は割と積雪もあり、機関車はスノウプラウを付けて走っていました。
最近まで日本最後の普通客車列車が走る路線でしたが1999年12月3日に全てDC化されDE10と共に姿を消しました。

現在は、平野部路線は久留米市や福岡市への通勤通学路線として利用されており、
久留米市近郊では新駅の開設などもあり、久留米周辺地域の足としての役割を担っています。
山間部は沿線に湯布院を中心として多数の良質の温泉が存在し、ゆふ高原線の愛称をつけられ、
JR九州の人気列車ゆふいんの森とともに観光路線としての色合いを濃くしています。
また近年は毎年のように災害に見舞われており、鉄橋や道床の流出など多大な被害を被っています。

雑談
久大本線はその両端に大分機関区と鳥栖機関区、中間地点に豊後森機関区を抱えていました。
大分機関区は大分鉄道管理局内の日豊本線、豊肥本線、久大本線の3つの担当路線を持っていましたが、
分鉄管内の路線の無煙化は早く、私の記憶にあるのは久大本線用のD60と豊肥本線用のC58、
中学の時に乗った日豊本線のC57くらいでした。

鳥栖機関区は当時でも日本1.2という規模の巨大な機関区でした。
中学の時に初めて鳥栖を通りましたが、その巨大な扇型庫と広大なヤード、
無数の蒸気機関車群に圧倒された記憶があります。
鳥栖機関区は鹿児島本線、長崎本線、筑豊本線なども担当していましたので 
当時でも相当の蒸気機関車が所属していたと思います。
現在跡地にはJリーグのサガントスのホームグランドが建設されています。

豊後森機関区は扇型庫と転車台が残っていました。
まだ久大本線にD60が走っていた頃に初めて訪れましたが、
そのときは扇形庫にキハ07やC58が休車や廃車となって留置されていました。
現在転車台は使用されていませんが、扇型庫は残っており保存の話も出ているようです。
(平成24年、国の登録有形文化財に指定されました)

JR九州になり8620の保存運転が始まることになり、久大本線に走ればいいのにと思っていましたが
豊肥本線での運用となり残念な思いをしました。
その後一度リタイアし再度整備を受けて肥薩線でその勇姿が見られる事になりました。
豊肥本線は熊本駅と宮地駅に転車台が有り、肥薩線も人吉に転車台が残っているため
候補路線として選定されたと聞きます。
宮地も人吉もかつては蒸機のたむろする機関区でした。
そう、久大本線にも豊後森にかろうじて転車台が残っています。
これが使えるようになれば久大本線でもSL運行は夢ではない気がするのです。
そんなことを考える昨今です。 
(2019年7月9日に久大本線 SL湯けむり号として片道だけ走りました)
     

                                                         (2021.10 加筆補完)

          



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