貝島炭坑専用線 かいじまたんこうせんようせん
総路線キロ数18.6Km
沿革(略史)
大正09年(1920) 六坑−庄司間 8.0Km が炭坑充填用砂運搬のため開業
大正15年(1926)08月 桐野(宮田駅)−六坑分岐点 0.7Km 開設他、各坑までの連絡支線開設
昭和39年(1964)11月 庄司-二坑間の4.8キロを廃止
昭和46年(1971)11月 二坑-宮田分岐点間の2.0キロを廃止
昭和51年(1976)06月 炭鉱閉山より廃止
ひとくちメモ
最後までSLが走っていたことで有名。ドイツ製のコッペル、アメリカ製のアルコが活躍していました。
今は、宮田町石炭記念館、直方市石炭記念館などに静態保存してあります。
ちなみにこの鉄道は、かつて充填用砂を運んでいたことから充填汽車と呼ばれていたようです。
充填用砂とは地下から石炭を掘り出したあとの坑道に陥落が少なくなるように水と一緒に流す砂のこと。
貝島炭鉱独特の方法で、同業他社からも注目されていたようです。
炭鉱の石炭運搬用に敷設された旧国鉄宮田線も炭鉱と運命をともにして平成元年に廃止されました。

雑話
動いているのかさえ分からぬままに訪ねた貝島でしたが実に魅力的な鉄道でした。
まさに時代の狭間に生き抜いてきたと言う様な光景がそこにはありました。
レール、貨車、機関車、鉄道設備等々全てが時間の止まった世界のようでした。
アルコ製の22号はリンク式連結器にバッファと言う古き姿を残したままで、当時日本で唯一の存在でした。
現在旧宮田駅を含めて炭鉱の面影は殆ど無く、痕跡を探すのも困難な位に大きく変貌してしまってます。
今でも犬鳴川を渡る橋梁近くにあった踏切の、ジリジリと鳴る独特の警報音が忘れられません。
                                                          (2021.10)


            
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