矢部線 やべせん
路線区間:羽犬塚−黒木 路線キロ数 19.7Km
沿革(略史)
昭和20年(1945年)12月26日 羽犬塚 - 黒木間 (19.7km) が矢部線として開業
昭和49年(1974年)04月24日 無煙化(DD16へ置き換え)
昭和49年(1974年)10月01日 筑後福島 - 黒木間 (12.9km) の貨物営業を廃止
昭和53年(1978年)10月01日 羽犬塚 - 筑後福島間 (6.8km) の貨物営業を廃止
昭和60年(1985年)04月01日 全線廃止
ひとくちメモ
元々軍需物資輸送を目的に計画された路線で、戦時中も建設が続けら戦後日本で最初に開通した新線でした。
戦後は復興の為の木材運搬を目的に当初計画の矢部村まで建設を企図しましたが中止となりました。
延伸予定で終点となるはずだった矢部を路線名にしたものの黒木までしか開通しませんでした。
その為矢部線に矢部駅は存在しません。
終点の黒木駅は黒木町にありましたが、町の名前はくろですが駅の読み名はくろでした。
また沿線の中心都市八女市に有る駅は筑後福島で、八女駅は存在しませんでした。

熊本機関区の受け持ち路線でしたので熊本機関区のC11がその任に当たっていましたが
熊本から回送するのではなく県境の荒尾駅に2両が常駐して交代で使われていました。
廃線となり現在はその路線跡は道路として利用され痕跡を見つける事は困難です。
筑後福島駅跡は鉄道公園となり黒木駅跡にはC11 61が保存されています。

雑話
一日一往復で取り立ててこれと言った特徴も無く、なかなか足が向かない路線でしたが
いよいよ廃止と言う事で重い腰を上げて廃止の1ヶ月ほど前になりようやく訪れました。
羽犬塚でDD16と連結した列車を見て、もう少し早ければC11単独で撮れたのにと後悔しました。
ロケハンを兼ねて列車で筑後福島へ向かいましたが、途中はほとんど市街地で絵になるところは無く
筑後福島で降りて特産の茶畑とたった一本生えていた梅の木の有る所でカメラを構えました。
他にファンの姿もなく、ひばりのさえずりを聞きながらのんびりとした撮影となりました。
筑後福島ではDD16が入れ替えを行っている間、C11はホームで休息をしていましたが
そこへ地元の方々が数人現れて記念撮影をしながら別れを惜しむ光景が印象的でした。
やがて機関士が現れてキャブ内への立ち入りが許され、交代交替に汽笛を鳴らしたりしました。
私も入らせて貰い、汽笛を鳴らす事が出来ました。
矢部線の良き思い出となっています。(2012.9


           


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