田川線 たがわせん 運転区間 後藤寺-行橋 路線区間:伊田−行橋 路線キロ数 26.3Km |
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沿革(略史)
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ひとくちメモ 田川線は、他の筑豊産炭地の路線と同様に石炭を苅田港まで輸送するために敷設された路線です。 筑豊地区の運炭路線の例に違わず、この路線も発祥は民間鉄道で、行橋にあった豊州鉄道により開業しました。 豊州鉄道は筑豊炭田の中心地伊田から積み出し港への運炭を目的に開業したのですが、 当時行橋には港が有りませんでした。 その為行橋からは九州鉄道を利用して門司港まで運炭せざる得ず、自ら港湾開発を企図していましたが 九州鉄道の筑豊進出により、筑豊の小路線は次々と九州鉄道への吸収合併が進むことになり 同社も合併を余儀なくされました。 その後苅田に港湾が整備され、当初の目的通りの運炭路線となり活況を呈しましたが、 石炭産業の凋落により赤字に転落し、国鉄時代に廃止対象路線となりましたが、 第三セクターの平成筑豊鉄道により継承され存続しています。 古い鉄道だけに沢山の貴重な施設を持ち、内田(信)と勾金の間にある煉瓦と石で造られた 三連アーチ橋の内田三連橋梁と、油須原 - 崎山間にある九州最古の鉄道トンネル第二石坂トンネルは 国の登録有形文化財に登録されています。 雑話 田川線は平坦地の多い北九州に於いて、山越え区間を持つ路線として人気がありました。 特に油須原前後はいつもファンが絶えませんでした。 車を持っている人は問題ないのですが、当時の私を含めて中高生だった人にとっては行き難い場所でした。 田川線そのものの列車本数が少ないうえに、油須原からポイントまでは崎山側で約1Km、 内田側で約2Km程離れており例えば上りを内田側で撮り、下りを崎山側で等という移動は殆ど無理でした。 特に崎山側へ向かう道はきつい上り坂でしたので尚更で、せいぜい午前と午後で場所を移動するのがやっとでした。 列車本数の少なさから、テントを持って前日から乗り込んで朝から撮影と言う事もやった事があります。 ただ、その時は崎山よりの峠付近を宿営地と定めて、夜に油須原に降り立ちました。 ほとんど真っ暗闇の中を歩き続け小雨も降り出してきた頃、ドライブイン見つけてここは何処かを聞きました。 そこで聞いた言葉は崎山とは逆方向の大任でした。 途方に暮れているとドライブインの客の人が、帰り道だから乗せて行ってやると言ってくれて 本当に助かった想い出があります。 撮影地で車に便乗させて貰った事がこれ以後も有りましたが、この時ほど嬉しかった事は有りませんでした。 この後年月を経て、車で撮影に行くようになってからは、この時の恩返しとばかりに 車のない方を便乗させたりしたものでした。 (2012.3) |