高森線 たかもりせん
路線区間:立野−高森  路線キロ数17.7Km
沿革(略史)
昭和03年(1928) 02月12日 宮地線(後の豊肥本線の一部)の支線として開業
昭和03年(1928) 12月02日 豊肥本線全線開通により高森線として分離
昭和50年(1975) 03月09日 無煙化
昭和61年(1986) 04月01日 南阿蘇鉄道へ転換
ひとくちメモ
熊本から阿蘇を経由して延岡を結ぶ九州横断線として計画され、旧高千穂線と接続される予定でした。
工事は1973年に着工されましたが1975年に高森トンネル(計画長6.5Km)内2050m地点で
水脈を切断してしまい異常出水事故が発生し工事は中断し、そのまま1980年に中止されました。

この高森トンネルは現在高森湧水トンネル公園として整備され中に入れます。
私も以前訪ねたことがありますが、今もトンネル内は出水が続いていて、
その水を流すための水路がまるで川の様に水が流れています。
計画ではその水路上が新高森駅の予定地でした。
高森線は元々九州横断線という位置づけを持っていたため、
かなりの難工事区間でも当時の最新の技術を惜しみなく投入して作られました。
その為、深い渓谷と険しい山の続く南郷谷付近には珍しいトレッスル橋や
日本初の鋼製アーチ橋である第一白川橋梁などの目を見張る構造物が存在しています。

繋がる予定だった高千穂線の高千穂橋梁が廃線により使われなくなったため
第一白川橋梁は再び高さ日本一の鉄道橋となっています。
高森線も高千穂線も共に全線乗車したことがありますが、
高千穂線は五ヶ瀬川を鉄橋で何度も渡りながらジグザグに進んでいく極めて稀な風景を持つ路線でした。
廃線となりとても残念に思う路線です。
雑話
高森線は阿蘇という極めて価値の高い観光地を持ちますが、
所謂裏阿蘇に位置していますので、沿線はそれほど観光地化されていません。
SL現役の頃は撮影行がなかなか大変でした。
当時私の住んでいた町からだと、車が有れば国道を南下して約2時間ほどで到着できるのですが、
当時はまだ高校生でしたから当然公共交通機関を使うことになります。
いざ高森線の撮影に行こうとすると次のコースになります。

1.久大本線を東へ向かい大分へ出て豊肥本線に乗り換えて再び西へ戻り立野へと言う約6時間コース。

2.久大本線を西へ向かい久留米へ出て鹿児島本線に乗り換えて南下して、
 熊本で豊肥本線へ乗り換えて東へ向かい立野へと言う約4時間コース。

3.久大本線を東へ向かい豊後森で宮原線に乗り換えて南下して肥後小国、
 そこから産交バスに乗り換えて立野駅前まで、と言う約5時間コース。

実際には宮原線利用コースは宮原線始発に乗らねばならないため、
前日までに豊後森に到着しておく必要があり2日間掛かります。
大分経由コースはあまりにも時間が掛かり過ぎて現実的には無理でした。
久留米、熊本経由が最も現実的でした。
それでも大変な行程で、その為なかなか撮影に気軽に行くと言うわけには行きませんでした。
実際私が撮影に行ったのは一度だけでした。
その時のコースは豊後森駅の有る玖珠町の同級生の家に前日一泊して3番のコースでした。
なぜかと言えば、それが最も安上りだったからです。

                                                        (2009.3)


            


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