貝島炭坑のことなど 九州の国鉄から蒸気機関車が消えてからも走り続けていたのが貝島炭坑のSL達でした。 貝島炭坑は筑豊の有力炭坑のひとつで、宮田町を中心にいくつかの鉱山を経営していました。 当然石炭運搬のための鉄道もたくさん引かれていました。 私が訪れた頃は炭坑末期の頃でしたが、筑前宮田駅から六坑までの間の専用線が健在でした。 使用されていたのはドイツの Orenstein & Koppel 社製の31.32号と American Locomotive Company 製の22.23号でした。 コッペルは輸入された同社製機関車の中で最大のもので威風堂々としていました。 また、アルコの2両は全長に匹敵するほどの大きな四角いサイドタンクが印象的でした。 専用線は六坑から国鉄宮田駅の構内奥まで続いており、 宮田駅構内奥には大きなヤードと貯炭場がありました。 一旦貨車から石炭は降ろされて貯炭場へ挙げられ、国鉄の貨車へと受け渡されていました。 さほど大型ではない9600も宮田駅で貝島の蒸機達と並ぶと流石に巨大に見えたものでした。 私が初めて訪れたときは日曜日で炭坑は休みでした。 当然列車も走るはずもなく、専用線の上をとぼとぼと六坑まで歩きました。 途中にかつて存在した二坑までの分岐線の名残がありました。 六坑は長井鶴機関区を併せ持つ貝島炭坑専用線の拠点でした。 事務所を訪ねると機関士のS氏がおり親切に色々と案内してもらいました。 彼によれば、私は運がよいとのことでした。 六坑は当然ながら立入禁止で、特に数日前に22号の圧力計が盗まれたと言うことで 部外者の立ち入りを厳しく制限していると言うことでした。 本来は事務系の職員が詰め所におり管理しているらしいのですが、 この日はたまたまS氏の当直だったらしいのです。 この時に教えていただいたのは下記のようなことでした。 この時点(1973.11)で現役は23.31号の2両で32号が予備機となっており、22号が解体修理中。 22号は翌年1月に組み立てを終わり、2月から23.31のどちらかと交代する予定。 鉄道は閉山後も2.3年は残炭運搬のために残る見込みと言うことでした。 さらに、平日は立入禁止ですが、昼休みの1時間は立ち入りが可能とのことでした。 これ以後、2回訪れたのですが、専用線のことですので情報が乏しく、 3度目の訪問時は閉山の翌日でした。 人気のない構内に火を落としたSLの姿を見たときは胸が締め付けられる想いでした。 幸いなことに彼らのうち3両は現在、直方と宮田町の石炭記念館と小竹町役場に保存されています。 (2001.01) |