カメラのことなど 1

撮影の必需品と言えばカメラです。
これまでに色々なカメラや機材にお世話になってきました。
それらについて少し書きたいと思います。


ゼノビアR
最初に使ったのは父から譲り受けた第一光学が昭和30年頃に作った
ゼノビアRと言うセミ判のスプリングカメラでした。
とにかく扱いにくいカメラでしたが、ほとんどの古い写真はこのカメラでの撮影です。
当時は既に当然35ミリ全盛の時期でしたので、
この古臭いカメラは撮影地でもとても目立ち、私は恥ずかしく思っていたものです。
またこのカメラの操作性の悪さは他のエッセイでも触れているとおり
信じられないくらい悪いもので、とてもSL撮影には使えない代物でした。
特に問題だったのは距離計非連動だったことです。
つまりファインダーを覗きながらピント合わせは不可能と言うことです。
止まっているSLならまだしも、走行写真は大体この位だろう感で予めピント位置を決めて撮るしかなく
結果として皆、多かれ少なかれピンボケとなります。
しかも目視で確認しながらノブを巻き上げ、シャッターを手動でチャージ。当然連写は不可能となります。

いわゆるSLブームなるものが到来すると、撮影地はまさに機材の展示場と言う様相でした。
誰もが大型の三脚に平行雲台を取り付け、2台3台とカメラを並べて撮るのが当たり前の状況でした。
当時のSLファンの撮影光景は普通の写真愛好家の方が見たら、
実に不可思議な光景だったのではないでしょうか。
プロが使うような高価な機材が一人一人のSLファンの前にずらりと並び、
当時まだ一般的ではなかったモータードライブ装備も珍しくありませんでした。
レンズも当時まだ出始めで高価だったズームレンズが当たり前のように装着され、
カメラも35ミリから6X6版、6X7版と多種多彩。
一般的にはあまり売れないであろう大型カメラが この時期はかなり売れたのも事実のようです。
よく見かけたのは、ゼンザブロニカやローライ、ペンタックスの6X7など。
マミヤの2眼レフも多かったですね。ハッセルを使っている人もそこそこ見かけました。

35ミリはと言えば、当たり前のようにニコンFかF2フォトミック、キャノンF1でした。
このような時期にゼノビアで撮影するのは、実に気が引けたものです。
そういう状況下でしたので、時々親戚のカメラなども借りて撮影するようになりました。
オリンパスペンやヤシカエレクトロ35、キャノンP、キャノンFtb などを借りて時々撮影していました。

TARON-PR
高校に入り、地元のカメラ店で中古品を見つけて購入したのがTARON-PRでした。
日本光測機工業と言う会社が1960年頃に作ったカメラです。
カメラ店の店員の『これは余りお薦めできないよ』との言葉を無視して
激安(3000円)で購入したこのカメラは、結局良きパートナーとして
末永く付き合うことになりました。
時々シャッター羽が動かなくなる(^^;と言うトラブルもありましたが、
レンズの前群がシャッターダイヤルリングの前で外れると言う特性がありましたので、
そんな時はツンツンとシャッター羽根をつつくと解消するという代物でした。
結局蒸気機関車終焉まで、このカメラを愛用する事になりました。
この時期は三脚も知り合いからようやく手に入れた頃でした。
この三脚も脚の取り付け部分が一カ所割れていて、一本は80度の開脚度を誇る(^^;
鉄製のとてつもなく重いものでした。
この三脚も斜面では脚の長さの調整を必要としないと言う固有の特性から
スリックの三脚を購入後も長く愛用しました。

コニカC35AF
この後、我が家でのカメラとしてコニカC35AFが購入されました。
当然ですが、私の撮影のサブカメラのカラー撮影専用機として活躍することになります。
ピント合わせ不要のオートフォーカスと言うことでしたが
今のオートフォーカスと違いピントはさほど正確ではなく、
さらにピント合わせにかなりの時間をくいました。
国鉄時代のカラー写真は、このカメラで撮ったものが殆どです。
蒸機終焉後は殆ど写真とは無縁となりましたが、山口線でのC57復活ととも再び撮影が始まります。

リコーXR−500
今度は一眼レフを手に入れようとまたまたバイトに精を出し、
当時驚きの低価格で発売されたリコーXR−500を購入しました。
当時の一眼レフとしては大きめのサイズと無骨なデザイン、
そして何よりもペンタックスマウントだったことが魅力でした。
とは言え同時に購入したのはリコーの135と200のレンズでした。
このカメラは早速山口線の撮影に活躍しました。
ついでながら、三脚もようやくスリック製のアルミ三脚を手に入れました。

キャノンAV−1
その後知人からキャノンAV−1をトキナーの35-70ズームと共に譲り受けました。
このカメラは発色の悪かったリコーの代わりにカラー専用機として使用しました。
しかしながら、交換性のない2台のカメラを使うことの不便さ、
特にシステムの拡張が出来ない事が問題となりました。
さらには撮影中にガチャガチャぶつけたり落としたりしたため
光軸が狂ったらしくプリントの仕上がりに不満が募り出しました。

ついでにお話ししますが、一般的写真好きの方々と違いSLを撮影する鉄ちゃんの場合は
(わざとではなく必要に迫られて)結構機材を乱暴に扱う方が多かったようです。
私もその一人ですが、道無き道を分け入ったり、崖の上に登ったりとSL撮影は体力勝負とも言える撮影です。
いきおいカメラはあちこちにぶつけることが多くなってしまいます。

また、列車本数が少ないため一枚でも多く撮りたいとの欲求があります。
で、どうなるかと言えば先ず望遠で撮影し、列車がフレームからはみ出るくらいになると
レンズをすばやく外して足下の銀箱へ放り投げ、標準や広角に付け替えて撮影を続けると言う事になります。
カメラも首から2台提げて、モノクロとカラーと分けて撮影すれば、なを効率がよいので、
当然ぶら下げたカメラ同士もガチャガチャぶつかり合うことになります。
このような結果、とにかく丈夫でなければ使えないと言うことになってしまいます。

まぁ、こんな使い方をしていたので、このままではカメラがもたないなと言うことになり、
システムそのものの統一化を図ることと合わせて丈夫なカメラと言うことで機種変更になりました。
そして登場するのがニコンFMでした。

ニコンFM
リコーとキャノンを処分してバイト代を足しても
本体と135の組み合わせしか買えませんでしたが、
写真の仕上がりの良さと操作性の良さは抜群でした。
その後もバイトに精を出し、モータードライブを購入。
さらには27、105、43−86ズーム、200とレンズも増えていきました。
ただ、1台しか無いというのはどうも心許なく思っていたところ、
行きつけのカメラ店から『珍しいものがある』との連絡を受けて
出かけてみると、そこに待っていたのはニコマートFT3でした。

ニコマートFT3
このカメラはFMに比べると大きく重かったのですが、
在庫品処分と言うことで随分安くしてくれたので買いました。
FT3はニコマートFTシリーズ最後のカメラでAI化されており
使い勝手はFMと変わらず良いものでした。
まぁFT3の後継機がFMですから。
しばらくの間FMと新旧コンビを組んで活躍しました。
しかし、FT3のダイキャストボディーはFMよりも強く丈夫だったせいで
首からぶら下げたFT3とFMがぶつかるたびにFMの損害が次第に大きくなり、
それが理由というわけではないのですが比較的短命に終わりました。

ニコンF3
ニコマートFT3に代わって加わることになったのが、ニコンF3です。
ニコンF3は小型で使い勝手も良かったのですが、
全体のバランスの良さという点では私はFMの方が良いと思いました。
そのせいでもないのでしょうが、相変わらず主役はFMでF3はサブカメラ
と言う宝の持ち腐れ的な使い方でした。
一般的なカメラ愛好家の方にすれば本末転倒、主客逆転と思われるかも知れませんが、
私のニーズに合っていたのはFMだったと言うだけの話です。                                                         (2001.01)

          
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